パンバンを訪ね

 今年の2月、西岡がブータン政府の第4次5ヵ年計画(1976年〜1981年)により5年間過ごしたシェムガン県パンバンに娘と行きました。

 “偲ぶ会”の時に多くの方からお寄せいただいたお志を翌年にパンバンの人達に贈ったのですが、「それを基にしてお寺を建てることにした」と聞いていましたので今回そこで少し遅れた17回忌の法要をしたいと思ったからです。

 一周忌に訪れて以来18年振りのパンバンは西岡と村の人達で架けた吊り橋が、その後奥地の村々から南への交通の要地となり大きく発展し、ジャングルを開いて出来た小さな集落が“パンバン郡”に昇格していたのは何よりの喜びでした。

 お寺は、パンバンから少し車で登ったところの水田と段々畑の先に建っていました。こじんまりしたお寺を想像していたのですが、39歳の御住職と30人の若いお弟子さんがいる立派な建物で“ソナムタン寺”と呼ばれています。秋にはツェチュの祭りも行われるそうで、その頃にいつかもう一度訪ねて来たいと思いました。

 以前村長をしていた方の話から、お寺の建築中にこの地に来られた第4代国王が完成を援助して下さったのだと聞き、感激でした。

 写真と共にご報告といたします。 2011年6月 西岡里子

■1976〜1981年:ジャングルを開墾する。

■1976〜1981年:村人達とつり橋を掛ける。

■1976〜1981年:完成したつり橋。

■1993年3月にパンバンを訪ねた時:
  一周忌の法要は河原で村人たちによって行われた。


■1993年3月にパンバンを訪ねた時:遺灰の一部をマナス河に流す。
  (1年前のパロでの葬儀の後には遺灰をパロ河に流す)

■1993年3月にパンバンを訪ねた時:

  1992年1月当時内務大臣のHRH Namgyal Wangchuk殿下により
  「ニシオカ橋」と名ずけられた。
  その時に殿下よりパロの西岡に送信された電報:


ダショーニシオカ宛
「パンバンの人達は貴方を今も尊敬しており、貴方のパンバン再訪を心から待ち望んでいます。貴方の始めた開発の仕事が今実を結んでいます。村人たちは貴方の献身的な働きなくしては自分たちの進歩はなかっただろうと云っています。彼らは永く貴方への感謝の気持ちを忘れないでしょう。アイアンモンキー年、貴方の繁栄と幸福を祈って。」
1992年1月23日パロ ボンデ農場着。


■2011年2月にパンバンを訪ねた時:車道より見たソナムタン村


■2011年2月にパンバンを訪ねた時:ソナムタン寺(横から)

■2011年2月にパンバンを訪ねた時:ソナムタン寺(正面から)

■2011年2月にパンバンを訪ねた時:
  ソナムタン寺での17回忌の法要(灯明を供える)

■2011年2月にパンバンを訪ねた時:ソナムタン寺での17回忌の法要



■2011年2月にパンバンを訪ねた時:現在の「ニシオカ橋」

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